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死ぬまでに世界の映画全部は無理だな、というブログ

QJリニューアルと18歳の頃の思い出話

少し長い、10年前の思い出話。

クイック・ジャパン 124

クイック・ジャパン 124

 

 

大学附属の高校に通っていた私は大学受験が無かったので、
高3の終わりから大学卒業まで4年半くらい渋谷の本屋でアルバイトをしていた。
今は無くなってしまったが、私がバイトしていた渋谷店は全国で最も店舗数の多い大型書店の1店舗で、当時は渋谷エリアの本屋の中でも最大の坪数を誇った。 

全国に店舗を構える大型書店ということもあり、社員の方は店舗間異動がままあった。そのため社員より古株のアルバイトも何人かいて、ベテランバイトになると版元への発注や返品処理、棚出しも行っていた。
1階と2階の2フロアに分かれており、1階は主に雑誌やビジネス書や参考書、2階は実用書・文芸書・絵本・コミックというように棚が分かれていた。
私は主に1階の担当で、レジ周りを見つつ雑誌コーナーの整頓や返品・棚出しをしていた。毎月[在庫1]なんてこともあるホビー誌を棚に出すのが楽しかった。
例えばスポーツ雑誌でも、トレーニングの話題と、アイドル選手の特集とでは購入層が全然違う。同じ登録ジャンルの雑誌でも近い内容のものから順に並べて、グラデーションを作るのが密かなこだわりだった。
 
その頃は揶揄する意味での【ロキノン系】という言葉がまだ無く、ちょうど邦画がマイブームだった私は迷わずロキノン系の雑誌を社割を駆使して買い漁っていた。
H、SWITCH、JAPAN、CUT、WIRED、Casa brutus
(WIREDとCasaはロキノン系じゃないか)
今も好きな号は手元にとっておいている。
 
その当時の私の中での分類分けではQuick Japanはカルチャー誌の中でも割と王道でポップな、Tokyo grafittiに近い大衆スナップだと思っていた。
「だいたいみんなが知っているイマドキぽいものをおさらいしましょう」みたいな感じがして、だったらアーティスト・カルチャーの世界をのぞき見できるインタビュー記事を読む方が有意義な気がしていた。内心背伸びしていた。
 
もうひとつ。別の思い出話。
 
本屋でバイトを始める少し前、高校2年の終わりに部活の先輩の紹介で、あるシンポジウムに登壇した。
博報堂アナリストの原田曜平さんによる「ケータイ・アフター世代によるコミュニケーション」というセッションの中で
まさに”本物の「ケータイ・アフター世代」”として、つまり現役女子高生として制服のまま登壇し、普段ケータイ(当時はもちろんガラケー)でどのようなコミュニケーションをしているかを、ざっくばらんにおしゃべりするというものだった。

ICC Online | モバイル社会シンポジウム2006「未来体験と交響する英知」

「先輩から絵文字ゼロのメーリス来ると、怒ってるのかなと思ってびびるよねー」
「仲良しグループで同じ着うたにしたりするから、誰と誰が仲いいとか分かる」

そんな話をした気がする。
今となっては化石のような会話…

私達にとっては、大げさにも言わず、割とリアルな話だったがセミナーを見に来ていたスーツの大人たちは、珍しげにふむふむと頷いてメモを取る人もいた。

私たちは”若者”で、大人たちに観察されていた。

 

それが、私が初めて自分を相対化した経験だった。

親が親であるように、先生がずっと先生であるように
私たちはその時、世の中においては「若者」という存在だと初めて自覚した。

それは、思春期の私にとっては結構なパラダイム・シフトだった。

「子ども(≒若者)と大人の境目はいつなのか。なんなのか。」
という議題が気になってしょうがなくなって、同じくこのシンポジウムでご挨拶した鈴木謙介さんの著書を読み、高校の図書室で見つけた刈谷剛彦さん編著の「いまこの国で大人になるということ」というタイトルの本に出会って、社会学というものがあるのかと知った。

そして、大学では社会学のゼミに入った。
学位までしかとってないので偉そうなことは言えないが、それはそれは興味深く本を読む大学生活だった。

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

カーニヴァル化する社会 (講談社現代新書)

 

 

いまこの国で大人になるということ

いまこの国で大人になるということ

 

 

Quick Japanの新装刊にあたって、巻頭に続木編集長の挨拶が載っていた。

キャッチコピーは「A VOICE OF NEW GENERATION」。
〜中略〜
実はこのキャッチコピーは1994年、クイック・ジャパンが創刊した当時、赤田祐一編集長が掲げたものです。
「ジャーナリズム」という言葉が「ニュー・ジャーナリズム」に変わったのが70年代。そこからさらに掘り下げ、”もっと現場に足を運んで若い人たちの声に耳を傾けよう”との思いからつけられました。

 

もやもやしていた思春期から10年経って、今号のクイック・ジャパンはなかなか面白い。

SEALDs奥田くんと古市憲寿さんの対談とか、
テレ東の奇抜さの特集とか、
いがらしみきお先生のシュールな新連載とか。。

 

まだまだ共感できるということは私は若者なのか。
あるいはもはや客観的にEDITされた記事を見てふむふむと思える時点で、若者じゃないのか。

 

そして”私達の世代”というものがあるとしたら、それはどんな世代なのだろうか。

これからどんな”世代”になっていくのだろうか。

世代ってなんだろう。。

ライ王のテラスの深読み。

※ストーリー内容に触れる記述があります。

■作品
ー「ライ王のテラス」@赤坂ACTシアター 3/15追加公演


舞台『ライ王のテラス』 CM

 

全長編コンプリ挑戦中のミシマオタク的には観ない訳にはいかず。

会場には女子高生や若い女の子が多く、鈴木亮平さんや吉沢亮くんのファンなのかなーという感じだった。
三島由紀夫独特の形容詞、修辞の多くもセリフに残されていて、私はあの世界観や言葉選びが好きなのだけど、慣れていないと何言っているのか分からなかったのでは。
好きなタレントさんの上裸が見れたらまぁいいのか。

 

2点ほどストーリーの運びで説明不足?あるいは解釈を入れたくなったところがあるので、深読みしてみようと思う。

ちなみに今の時点で私は原著や解説書を読んでいない。
ゆえに解釈違いの可能性もあるが、あくまで宮本亜門版の舞台を観たいち三島ファンの感想ということで。

 

1)なぜ若棟梁ケオ・ファは最期、王のもとを離れたのか。

物語の中で一貫して王の味方だったのは第二の后とケオ・ファの2人だけだった。

最終幕、王があんなに破滅的な最期を遂げる時にケオ・ファは何をしていたかというと「満たされた気持ちで新婚旅行に出かけて不在」とのこと。
普通に考えてあんなに慕っていた王がいよいよヤバイという時に、自分たちだけ新婚旅行でハッピーってどういうことや?って違和感が少なからずあったと思う。

 

物語の中で二項対立構造を作って、
いろんなものを重ね合わせて示唆させる手法は三島の作品でよく見られる。

今回で言うと、若さと衰え・身体と精神・華やかさと潔白さなど。

ケオ・ファが担っていたのは若さだった。

王が幼いころにテラスから夢見た崇高なバイヨン(寺)のイメージを共有できたのはケオ・ファだけで、
王が衰えていく間、バイヨンを作り上げ続けたのは若いケオ・ファだった。
病の中の王にとってのケオ・ファは自分が失いつつある若さの穴埋めであり、だからこそ彼がいなければバイヨンは完成しなかったのではないか。

そしてバイヨンが完成した瞬間に、若い肉体の方の王は「自分こそバイヨンである」と宣言し、王にとっての肉体と若さはバイヨンに預けられた。
ハガレンの等価交換のような感覚。

つまり対立構造上、”若さ”が永遠にバイヨンに受け渡されたその瞬間に
ケオ・ファはその舞台上に居てはいけなかったのではないか。
二項対立上、ケオ・ファは何者にもならなくなってしまうから。

だとすると、ケオ・ファが棟梁になってから何度かの登場シーンで
もう少しその説明を描いても良かったのかな、と思う。
ケオ・ファは最初から最後まで変わらず、闊達な若い青年だった。婚約者への愛の形も変わらなかった。

王の若さを吸い取るように
徐々に自信に満ちていき、
若さゆえのわがままになっていき、
世界がすべて自分のものになったような感覚の瞬間に結婚を手に入れて
ついには王のもとを離れていく、という方が分かりやすかったのかなーと思う。

 

2)何故、王太后は第二の后の操の潔白を隠し続けていたのか。

王本人も「なぜそれ(第二の后の不貞が嘘だということ)を早く言わなかった!」て怒ってて、ちょっと笑ったけども。

そしてそのセリフに王太后は直接回答しなかった。
たぶん笑かすシーンではなかったので王太后の意図を考えてみる。

 

三島はずっと「美しく健康な肉体にこそ崇高な精神が宿る」と考えている。

その哲学は他の作品でも一貫していて、私の一番好きな「奔馬」もそういう話だったように思う。
精神だけ美しいなんて偽物である、とまで思っていると思う。

太后は、衰えゆく王の肉体を見ていられず
精神だけ美しいなんてあり得ない、こんなことなら王の精神も汚してしまおう
と思ったのではないか。

逆説的だが、おそらく健康で美しい肉体の王なら宰相の嘘になんか騙されなかっただろうし、
第二の后に対してあんな施しのような受動的な愛を強要することもなかったはず。

嘘だと分かった瞬間、一瞬王の心はハッピーになったが
疑いの気持ちが生まれている時点でたぶん精神は蝕まれていた。
太后による、王の精神も衰えさせる作戦は既に成功していた。

逃げ際に打ち明けたのは、王のためではなく王太后自身の弱さと取るのが自然だろうか。

 

そう考えると、最終幕で王の若い肉体と精神が対話している時点で精神の方が不利だったのか。
肉体の側が勝利したことも説明がつくのではないか。

 

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なるべくシンプルな舞台セットで重厚感のある世界観を作るやり方は好きなので、
音楽や照明含めて計算されていてとても見応えがあった。

もちろんみなさん素晴らしい演技だったけれど、役どころとしては中村中さん演じる”第一の后”が一番複雑だったのではないかと思う。
「見えるものに嫉妬などせぬ」というセリフがとても印象的だった。

 

どうにかして原著を手に入れて読みたいなぁ。

 

資本主義の世界で、Uncontrollableな公共

※ストーリー内容に触れる記述があります。

■作品
ー「Banksy does New York」@渋谷シネクイント
軍艦島 上陸ツアー@端島

 

映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』予告編

 

3/25、ドキュメンタリー映画「Banksy does New York」(2016年3月26日公開)のフライング上映会+トークショーイベントに行ってきた。

私自身は”にわか”Banksyファンなので
映画を見て、彼(?)の作品や活動も初めて知るところが多く、
へー!はー!頭いいな!かっこいいな!と感心しきり。
テンポよく進むのでドキュメンタリーアレルギーでなければ
少しでもアートや表現に興味がある人なら面白く見られると思う。

 

Banksyの作品はとにかく論点が多い。
政治的でもあり、社会的でもあり、そもそもアートなのか?とか、、
その中でも特に印象に残った議論のひとつが
「Grafittiが一掃されたNYのサブウェイは企業の私財になってしまった」
という、ストリートアーティストの嘆き。

”広告”によって、”公共”交通機関の”公共”スペースが金持ちの私財になってしまった。ということだ。
 映画では、そこからマイノリティの表現の場としての5POINTZの価値について触れていく。

 

話は変わって、3月の3連休で長崎県端島の”軍艦島上陸ツアー”に参加した。
007 スカイフォールを見て以来ずっと憧れていた場所だったので、4年越しの念願だった。

軍艦島も論点の多い場所だが、実際に訪れて感じたのは
エネルギー問題どうのとか歴史的価値がどうのとか、そういう左脳的な思考ではなく
それを吹き飛ばすほどの圧倒的な「いのちの力強さ」だった。

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廃墟なのに矛盾だと思う。
決してアイロニーを弄ぶためにそういう表現をしているのではない。
当時の人々の成り上がってやるぞ!という意思をもって人工的に栄えたエネルギーの名残と
それが日々朽ちていく時の流れに抗えない感覚が、あの島にはありありと残っていた。

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1890年(明治23年)、端島炭鉱の所有者であった鍋島孫太郎(鍋島孫六郎、旧鍋島藩深堀領主)が三菱社へ10万円で譲渡[21]端島はその後100年以上にわたり三菱の私有地となる。

産業遺産としてだが、世界遺産登録された端島
NYのサブウェイと対照的に、元は三菱の私有地だった金儲けのための小さな島が
放棄されて荒れ果てていくうちに、躍動感ある魅力をもつようになった。

 

話は戻って「Banksy does New York」。
映画を見ると分かるように、BanksyのNYでのプロジェクトは
いくつかの匿名の”落書き”のために
マスメディアが動き、警察が動き、人が足を動かし、大勢が行動していた。
そしてSNSではHot topicとなって、大金も動いた。

ギョーカイ人として敢えて述べても、今のところの”広告”は
頭の良いたくさんの大人が練りに練って
時間も大金もかけて仕掛けても結局博打だ。
それをBanksyはいとも容易そうにやってのけた。
(もちろんBanksyも時間やお金はかけているのかもしれないが)

 

何が人々を動かしたのか考えた時に、
この「いとも容易そう」なところが重要だったのではないかと思う。

映画の中で、Banksyファン・マスコミ・インタビューで人々はこんなように語る。

「人々の反応までBanksyの作品の一部。」
「賞賛も批判もすべてBanksyの手の中で踊らされている。」
「Banksyには新聞社がどんな対応をするかどうかもすべてお見通し。」

つまりBanksyがコントロールする側に立ち、”こちら側”はBanksyに対してアプローチすることが出来ない

これが仮にBanksyがアンケート結果に右往左往して作風をころころ変えていたらどうだろう。
時の政権にお伺いを立てて活動資金をもらっていたらどうだろう。
ユニクロとコラボTシャツ出していたらどうだろう。(ちょっと欲しいけど)

 

軍艦島もそうだった。
もう我々の力ではどうにもならなくなっていた。
貴重だとみんな分かっているけど、現状維持だって危うい。
資本主義の象徴のような場所にも関わらず、”公共”の名のもとに帰ってきた時には既にUncontrollableであった

 

古くからの言い方を借りれば、人智の及ばないものに対しての宗教的な畏怖の念に似ているのかもしれない。
でもきっと そんな妄信的な感覚とは違う。
もうみんないろんな事に気付いていて、知らないふりができなくなっているから
”公共”ですら誰かの持ち物になっていることに疲れているのではないか、と思った。

Banksyによって公共*1は取り返されていくのだろうか。

 

映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』公式サイト

週刊金曜日 2016年 3/25号 [雑誌]

週刊金曜日 2016年 3/25号 [雑誌]

 

 

*1:ちなみに、今回はみんなの共有物であるという広義の「公共」と、政府の管理下にあるという狭義の「公共」をごっちゃで使っている。そこ考え始めると公共論に深入りしそうだったので…念のため言うとパブリックアートのpublicとも違う。